「金鳥」の菱形看板は、一見同じように見えるがよく見ると微妙な違いがある。
まったく興味がない人にはどうでもいいことだが、“看板偏愛”に侵されている自分にとっては、こんなことも気になってしまうからしょうがない。
金鳥看板の分類
現在発見しているものは6種類となる。それぞれの特徴から分類してみたい。
金鳥看板は昭和30年代から60年代にかけて貼られたというが、6種類の看板を初期→中期→後期の年代別に大きく分けると、以下のように【A】から【F】のタイプ順になると考えられる。
初期型の【A】は煙が描かれておらず、“かとりせんこう”のロゴが入っている。全国的にも広く残っているタイプである。金鳥の文字が赤くにじんで褪色する傾向もあり、九州ではそんな例をよく見かける。
次に初期型の【B】であるが、これは“かとりせんこう”のロゴを残しつつも4本の煙が描かれていることが大きな特徴。関西地方にわずかに残っている。
“かとりせんこう”のロゴがなくなった、中期型の【C】と【D】と【E】はどれも同じに見えるが、よく見ると真ん中と右の2本の煙の描き方に違いがある。【C】は滋賀県と兵庫県でしか見つけていない。極めて少ないタイプといえる。また、【D】は北陸地方に多いが、特に福井県ではこのタイプを一番多く見かける。
更に【E】になると、デザインは【D】を継承しているが、3本の煙のうち右の煙の長さが違っている。全国的に最も多く見られるタイプである。
最後に後期型の【F】は、デザインは中期型【E】と同じで、煙の描き方も同じであるが、“金鳥”のロゴがホーロー加工されておらず、経年とともに褪色、剥離する。
夜間にクルマのライト等で光を反射し、遠くからの宣伝効果を狙ったとする説もあるが真偽は分からない。また、後期型の「金鳥」と対で貼られた「キンチョール」も同様な仕様になっている。
次に「キンチョール」を分類してみる。現在確認できるのは上の3種類である。
初期型の【A】は“強力殺虫液”のロゴが入り、“キンチョール”のロゴが明朝体で、“ン”の字が大きいのが特徴。また、黒一色で描かれたスプレーの噴射イメージとイラストのハエの線が細く、リアルさがある。
中期型【B】のロゴは【A】と同じ“強力殺虫液”だが、字体が小さくなっている。また、“キンチョール”のロゴがゴシック体となり、ハエのイラストも線が太い。
最後に後期型の【C】だが、デザインは【A】と【B】をミックスしたものになっている。ロゴが“家庭用殺虫剤”に変わり、“キンチョール”のロゴは“ン”の字が小さいが、【A】の明朝体である。ハエのイラストはほぼ【B】と同じである。“キンチョール”のロゴは「金鳥」看板の後期型【F】と同じで、ホーロー加工をされておらず、経年とともに剥離していくようだ。
「金鳥」と「キンチョール」の組み合わせ
「金鳥」を6タイプ、「キンチョール」を3タイプにそれぞれ初期、中期、後期と分けたが、組み合わせがどのように貼られたのかをみたい。
上記のように、看板のタイプを初期型、中期型、後期型に分けたことで、組み合わせのパターンが見えてくる。「金鳥の」初期型【A】と後期型【F】の組み合わせはそれぞれ1パターンしかないことが分かる。
金鳥看板の貼りかた
看板を貼った人の意図やロケーションもあったと思うが、その貼りかたにも個性がある。一番多いのは「金鳥」と「キンチョール」を2枚並べるオーソドックスな方法。左右がどちらになるかは一定ではない。
上下、斜めに貼る場合もあるが、どちらかといえばイレギュラーな部類になる。前編で紹介したように、何枚も組み合わせた幾何学的なユニークな貼りかたもある。更に連貼りでは最高7枚を確認しているが、このケースでは1枚が剥がれ落ちていた状況を察すると、8枚も貼られていたことが分かった。
また、他社の看板と貼られるケースも多く、「ライオンかとりせんこう」や「キング香」、「月虎かとりせんこう」と競合する風景に出遭うこともある。
金鳥看板の分布
前回も触れたが、「金鳥」と「キンチョール」の組み合わせは全国で8000組も貼られたという。激減する琺瑯看板の中でも比較的多く残っている看板といえそうだが、全国的な分布を考えると偏りも見えてくる。
石川県の能登半島の海岸線にある集落のように、しつこいくらい目につくエリアもあれば、未調査の沖縄県を除くと、秋田県、宮城県、神奈川県は5年に亘る調査でも未発見のままだ。
これまでに発見した「金鳥看板」に絞り、【A】から【F】の分類に基づいて色分けをし地図上にプロットしてみると、ちょっとした傾向も検証できる。(地図参照)
「それがどうした!」と言われればそれまでだが、地図を埋めていくこんな遊びも、なかなか楽しい。
…最後に
金鳥看板の謎を探るという大げさなテーマを掲げたにも関わらず、ずいぶんと平面的なレポートになってしまった。
広告戦略のひとつである琺瑯看板を調べることは、デザインの変化ばかりではなく、その時代背景や関わった人々の動きを通して、“貼られた”ことの意味合いを探っていくことも重要なポイントだと思っている。
結論から言えば、メーカーの担当者に問い合わせることにより疑問はすべて解決することもある。しかし、それでは面白くない。推測の域を出ないが、あれこれ考えてみるのも琺瑯看板を調べることの楽しみである。
地味な活動ではあるが、タイプ別の分布も継続的に調査していきたいと考えている。ぜひ情報をお寄せいただきたい。
- つちのこ
- 琺瑯看板探険隊が行く
- 1958年名古屋生まれ。“琺瑯看板がある風景”を求めて彷徨う日々を重ねるうちに、「探検」という言葉が一番マッチすることを確信した。“ひっつきむし”をつけながら雑草を掻き分けて廃屋へ、犬に吼えられながら農家の蔵へ、迫ってくる電車の恐怖におののきながら線路脇へ、まさにこれは「探検」としか言いようがないではないか。